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Sakeのこれまでとうちの豪州人との馴れ初め
どうも、Sakeです。
今日は、私たちに似た状況下にある人たちと円滑な情報共有ができるようになることを願って、私がこれまで歩んで来た道のりと、私たちの馴れ初めを紹介しようと思います。
パートナービザの申請のために出会った日から今日までを振り返ったので、今ならいろいろ書けそう。
Sakeのこれまで
このブログについての内容とかぶるところもありますが…改めて自己紹介します。
名前:Sake
職業:韓日翻訳家
出身:大阪
趣味:旅行と写真
大阪時代
昭和最後の年に大阪で誕生。
ごく平凡に成長していくが高校三年の夏に平凡路線から脱線し、韓国人女性宅の住み込み家政婦高校生へと進化する。
その韓国人女性がなかなかストイックな韓国語教育をしてくれたお陰で、卒業後は韓国語の道に進むことになる。
大学在学中は韓国に留学。
韓国時代
2011年、大学を卒業するや否や韓国ソウルに移住。
現地の企業で普通にOLをしながら暮らしていたところ、さらに脱線する出来事が起こる。
2015年 春、飲食店で隣で飲んでいた豪州人に吐かれる。
韓国で仲のよかった韓国人の友達たちが国際的だったため、いつも集まると英語圏の人たちも混ざっていたのですが、すり寄ってきた泥酔オーストラリア人に吐かれました。
友達にすすめられて韓国で英語の先生をはじめたばかりだったのですが、慣れない韓国の酒文化に翻弄され粗相してしまいマシタ。
みんながドン引きする中、案外平気な私はいたって普通に対処。
それが、うちの豪州人との出会いだった。
英語がわからないながらも二人で会う。~初デート~
出会いのインパクトも強烈だったが、結膜炎で両目真っ赤にして初デートにやってきたうちの豪州人もなかなかインパクト大だった。
正直、言葉が通じなくて気まずいだけの時間になるんやろうな、と思って出かけたのですが、まさかの意気投合。
あれ、楽しい…となる。
2015年 夏、交際スタート。
週に何度かデートをするのが二カ月ほど続いたある夏の日、彼女になってくれと言われる。
英語が話せないのに英語しか話せない彼氏ができてしまう。
2016年 新年早々、同棲スタート。
まさか四年後にこの頃の郵便物などをとっておけばよかったと後悔することになるなんてつゆ知らず、同棲をはじめる。
【関連記事】【オーストラリアパートナービザ】申請から取得まで全部お見せします!
そしてこの年に、もう韓国はお腹いっぱいかも…となり、脱韓を意識はじめる。
2017年 春節頃、脱韓。
私の青春であり、私の日常であった韓国生活に終止符を打つ。
コアラも韓国を離れることになり、韓国でオーストラリアのワーキングホリデービザを取得。
仕事もOLを卒業してフリーランスの韓日翻訳家に転身。
そういえば、ワーホリ用の健康診断で訪れた韓国の病院で看護師さんに「オーストラリアビザの健康診断は厳しいので尿検査の前に水をコップに二十杯は飲んでおいてください。」と無茶を言われ少し豪ビザ申請が怖くなりました。笑
メルボルン時代
2017年に韓国を離れたあと、一カ月ほどヨーロッパや東南アジアを一人でプラプラしてオーストラリア入りし、コアラと再会する。
メルボルンのコアラのおじさん宅でしばらくお世話になってから、セントキルダのビーチが見える部屋でただただ引きこもり仕事をする一年を送る。
一年間のワーホリビザで来たため、この先どうするかコアラと話し合った結果、二人で日本に移住することにする。
2017年 秋、うちの豪州人がJETプログラムを申請。
コアラに日本がどんな国なのかを見てもらいたかったというのが渡日理由だったので、JETプログラムのALTに志願させる。
【関連記事】JETプログラムって正直どうなの?どこに配属されるの?【ALT】
2018年 春、ワーホリビザをあと一カ月残して日本に帰国する。
ビザが切れるまで滞在しなかったのは、コアラにJETプログラムの4月はじまりを申請させたため、先に日本で身支度をしておこうと思ったため。
日本時代
コアラをメルボルンに残して先に帰国。
コアラが来る4月まで親孝行でもするか…と思っていたら、JETプログラムから4月はじまりの枠がないため8月はじまりで受け付ける旨の連絡を受ける。
これにより、プチ遠距離生活がスタート。
2018年 初夏、JETプログラムの配属地が決まる。
JETプログラムは申請するときに希望地を三つまで記載できるので、私の故郷の大阪と京都を記載させたのだが、配属されたのはなんと…大分。
あれ?ダジャレですか?大阪で希望出したのに大分って…笑えない。
プチ遠距離生活の先には田舎生活が待ち受けていた。
2018年 夏、うちの豪州人来日。
約半年ぶりに再会し、大分で再び一緒に暮らしはじめる。
最初に大分と聞いたときは正直絶望したが、大分の生活も悪くない。
住めば都とはこのこと。コアラが本格的に日本語を勉強しはじめる。
だけど、私たち、このままでいいの…?
2019年 年末、久しぶりに渡豪。
クリスマス&友達の結婚式があるということで渡豪。
約二年ぶりのオーストラリアで気づいてしまった。
「あれ、私、英語伸びてる…。」
そして漠然と思った。
「これは、いけるかもしれない…。」
2020年 正月明け、オーストラリア移住を決意。
大学卒業以降ずっと海外暮らしだったため久しぶりの日本&はじめての地方暮らしは新鮮で楽しかった。
が、ずっと胸にしこりのように残っていたのは…コアラがALTの仕事を楽しめていないこと。
実は小学校の先生なんデス。ALTとして小学校で英語を教えてはいますが、本当は担任として子どもたちともっと深く関われる教師の仕事がしたいんデス…。
私の夢は大学の頃から翻訳家でした。そしてその夢は叶い、今ではネットさえあればどこでも仕事ができます。コアラのためにオーストラリアに行くのが私たちにとって自然な流れだったのです。
年末の渡豪が私の背中を押してくれたような気がする。
2020年 旧正月明け、パートナービザを申請する。
どうせ却下されることはないだろうと自力申請開始。
【関連記事】【オーストラリアパートナービザ】申請から取得まで全部お見せします!
2020年 旧盆前、申請から7カ月でPR(永住権)取得。
コロナのせいで審査が早くはじまり7カ月でビザ取得。コアラの仕事の契約期間があと一年残っているため、そんなに早くビザ出て欲しくなかった…。
入国期限ギリギリの2021年の夏まで日本で過ごす予定。
2021年 旧盆前、ビザ取得から一年ちょっとでメルボルン移住。
ビザの入国期限を一年延長してもらい、なんとかメルボルンに舞い降りましたよ。コロナ禍はいろいろ大変。
無事に永住者として、二度目のメルボルン生活が始まりました!
今ココ。
Sakeのこれから
これまで韓国に移住したのも、ワーホリでオーストラリアに行ったのも、いずれ日本に帰国するという得体の知れない「大丈夫」感があったから、迷わずできたことだったんだと思います。
でも、パートナーとして移住するとなると、日本に残す親のことから日本で揃えた家具をすべて処分するのが悲しいという小さなことまで、数え切れないくらいの不安が押し寄せてきて、簡単な決断ではありませんでした。
「パートナービザを申請してしまうともう取り返しがつかない」という風に考えてしまったんですよね。
金額も高いのでいろんな不安要素が心にズンとのしかかってきて、パートナービザの申請もワクワク楽しいものではありませんでした。
かといって完全にネガティブに考えていたわけでもなく、私の人生で、もうひと踏ん張り、もうひと修行、してもいいんじゃないかな?という前向きな心もあったので、さらに飛躍するぞという決意を申請ボタンにぶつけてやりました。
ということで、私のこれからは、高いところを目指して常に向上していく日々にしたいと思います。そんな意味でブログもはじめました。
同じ志を持っている人、同じ境遇にいる人、一緒にがんばっていきましょう!!
とはいえ心の逃げ場も必要。「嫌になれば日本に帰ればいい!一時帰国でも長期帰国でも完全帰国でも、選択肢はいくらでもある!」これを常に頭において、自分を安心させてあげようと思います。